みなさまどうも、うちいくTVナカキンです。のらりくらりと生きている内に、もう新年が明けて1ヶ月が経とうしています。1年の早さをすでに体感している今日この頃です。
1月が終わり、2月を迎えるとやはりこの話題に触れざるを得ません。そう、「パチスロ5号機の完全撤去」です。ちょうど来週の今頃には、この世の中にパチスロ5号機は存在しなくなります。(地域などで差はあるようですが)
今年で30歳となる僕は、5号機からパチスロにどハマりしました。今こうしてコラムを書けているのも、5号機がなければ出来ていなかったことです。そんな僕というか、ナカキンを作り上げた5号機が無くなってしまうのはやはり感慨深いものがあります。
般若というラッパーの「最ッ低のMC」という曲に、こんな歌詞があります。
“ギドラ ブッダ 雷 ペイジャー オレが狂ったのは奴らのせいさ”
往年のラッパー達の名前を挙げて、オレがラップにハマったのは奴らのせいだとリスペクトを込めて“狂った”と揶揄している歌詞です。僕にとっての5号機はまさにこの状況に似ています。
“ジャグラー ゴッド 絆 番長 オレが狂ったのは奴らのせいさ”
と歌い上げたくなるほど、良い意味で色々と狂わされたパチスロ5号機たち。最後の機会ですから、思い出を語り、そして今後のパチスロとの向き合い方について書いていきたいと思います。
初めてのパチスロと初めてのART機
約10年前、大学生となった僕。先輩に連れられて初めて打ったパチスロは、多くの人と同じ「ジャグラー」でした。
(北電子公式サイトより)
確か「アイムジャグラーAPEX」だったと記憶しています。初めて打って負けるのが一番のビキナーズラックだ、と言われたりしますが、この時の僕はしっかりと勝ってしまいました。
この初体験に衝撃を受けて、先輩とではなく1人で足を運ぶようになりました。そして慣れてきた頃、初めてジャグラー以外の台に手を出してみました。
(ロデオ公式サイトより)
ロデオの名機、「モンスターハンター」です。初代モンハンとも言われるこの台が僕の初めてのART機でした。
ゲームでやっていたモンハンがスロットになっているのかぁと興味本位で打ってみましたが、何が起こっているか全くわからなかったのを今でも覚えています。
(ロデオ公式サイトより)
ボーナス中に何度も訪れるBARを狙えという演出で、全く揃えられず怖くなって出る度に店員さんを呼んでいました。当然内部のシステムも何もわかっていなかったので、しょうがない話なんですが。
この初代モンハンからART機にもどっぷりとハマり、そこからはもうパチスロだらけの人生となりました。バジリスク2に、番長2、北斗転生に、ブラクラ2と面白すぎる台が続々と出てきて毎日のように打ちに行っていましたね。
そんな中でも、ジャグラーと並んで一番打ったのはこの台だと思います。
(ユニバーサル公式サイトより)
「ハナビ」です。この台のおかげで、パチスロ本来のリーチ目の楽しさと気持ちよさを学ぶことができました。巧みなリール制御と演出で、パチスロ自体の奥深さにも触れられた気がします。
朝から打ちに行って負けまくって残り2,000円になって泣きそうになりながらこの台に座り、RT連を3回かまして一撃1,000枚ほど出したのは今でも鮮明に覚えています。
文章では書き切れないほど、多くの思い出がある5号機たち。思い出補正と言えばそうなのかもしれませんが、本当に楽しく素晴らしい時代にパチスロを始められたなぁと改めて思いました。
4号機ほどイカれているわけでもなく、6号機ほどマイルドでもない丁度いい射幸心を煽ってくれた5号機もあと1週間でついに終わりを迎えます。
6号機時代に向けて5号機から学ぶこと
では2月からの6号機時代に向けて、5号機から学べることはなんでしょうか。4号機から5号機への変遷でも、多くのユーザーが不満を持ちながら徐々に適応していった歴史があります。
5号機時代を共に生きた僕らだからこそ、心に備えておける教訓があるはずです。
・流行り廃りは繰り返す
大きく5号機と括っても、5.5号機、5.9号機といったように段々と内容は変化していきました。5号機初期は純増の低いART機が流行り、次は出玉の速さを求めて高純増機が作られ、そしてまた低純増へとといった流れがありました。
世間のトレンドと同じで、流行り廃りは繰り返すもの。今の女子高生が、レトロなものを見て「エモい」と言っているように、現状のまま流れが変わらないということは有り得ません。
今世に出ている6号機に不満がある方は多いと思います。しかし必ず流行り廃りは繰り返すので、きっとユーザーが求めるナニカが出てくる時がすぐやってくるはずです。
・パチスロってそんなに夢はない
元も子もないことをいきなり書いてしまいましたが、実はパチスロってそんなに夢はありません。僕自身も、約10年ほど5号機を打ち、万枚を超えたのは2回だけ(初代まどマギとハーデス)です。
1日で万枚勝てるというのを夢とするならば、そんなことはそうそう起こり得るものではありません。故にパチスロに夢ってそんなにないのです。
2,400枚の規制でさらに夢がなくなったと言われる6号機も、元々そんな夢なんてなかったんだと心に刻み込んでおけば、結構すんなり受け入れられます。少なくとも僕はそうです。
パチスロは夢ではなく、現実です。現実に起こり得る喜びを噛み締めながら、台と向き合えればもっともっとパチスロ(6号機)を好きになれる気がします。
とこんな感じで、5号機の思い出とこれからの6号機時代への向き合い方について戯言を書いてみました。とはいえパチンコ・パチスロ業界は未だに長いトンネルを抜け出したとは言えない状況です。2月からはさらに雰囲気は暗くなっていくかもしれません。
ただここまで長いトンネルを通過中なのですから、その先の景色はきっと明るいに違いありません。そんな日を心待ちにしながら、また10年後くらいに6号機がなくなって悲しいなぁという気持ちになれば良いなと願うばかりです。
それでは今週はこの辺で、さいなら。